草野球物語〜プレー未経験社会人が野球始めました〜

草野球からのプレーヤーが自身の草野球記録や野球全般について書いています。

草野球1年目の頃。背番号と初ヒット。

プロ野球は9月好調のロッテがオリックスをかわして首位浮上、さらにはマジック点灯も目前とここにきて混パを一気に突き抜けるかという勢いですね。

ロッテファンである私、しょーへいもシーズン1位でのリーグ優勝を待ちわびています。

 

今回は草野球人生1年目(2019年)を振り返っていきます。

草野球初試合では空振り三振に終わったものの、20代後半になって野球をプレーするということに触れてからのお話。

 

 

初試合を終えてからというもの、初ヒットを目指す日々が始まった。

と、その前に、、

とある日のチームLINE。

「新しいチームユニフォーム作ります!!」

背番号希望受け付けます、とのことで、

私が希望したのは「7」

本来素人草野球プレーヤーが希望できるような背番号ではないが…。

 

前述したようにロッテファンの私にとって、ロッテを応援するきっかけの一つになった西岡剛選手の背番号であり、2005年の日本一、2006年第1回WBC、2008年北京五輪、2010年シーズン3位からの下剋上日本一など、学生時代の私のプロ野球シーンにはいつも背番号7の西岡がいた。

パンチ力とバットコントロールを兼ね備えた両打席での打撃、華のあるダイナミックな魅せる二遊間守備、持ち前の足を活かしたスピード感溢れる盗塁・走塁、そしてちょっと派手な見た目と赤い野球用具もかっこいいと感じ、憧れだったのは私も彼も若かったからか?笑 ツインズ、阪神、栃木GBで背番号やプレースタイルの変遷はあるもののずっと好きで、ずっと憧れています!

のちに続く鈴木大地選手も私の好きなプレーヤー。全力プレー、チームを鼓舞する姿勢とキャプテンシー。打順もポジションもどこでもこなし、任されたところできっちり役割を果たすところが素晴らしい。現在の楽天でも背番号7ですね。

他球団では糸井嘉男選手。まだ投手で背番号も26だった頃、鎌ヶ谷スタジアムでサインを頂いたことがきっかけでずっと応援しています。彼はまさに5ツールプレーヤー。日本ハムオリックス阪神とキャリアを積む中でもずっと背番号7をつけていますね。

 

話がだいぶ脱線したが、それだけ私のプロ野球への憧れを抱かせる存在はいつも背番号7だった。それだけになんとしてもつけたい番号であった。

なんとかゲットしてからは、「日本ハムの背番号フォントかっこよくないですか?」なんていって好みの7番に仕上げるべく意見出した甲斐もあり、見た目は結構いい感じになった。

 

その後、野球ショップで道具を買い揃えたり、バッティングセンターで自主練したり、部活動で月1~2回練習したりと草野球ライフが始まった。

打撃フォームはスイングの度に型が違っていたように思うし、練習でもフライは落下地点がわからない、ゴロはグラブに収まらない。(恥ずかしながら、打撃も守備も字面にすると今も大して変わっていないかも…?)

それでも野球ができるだけで楽しかった。ずっとやりたかったんだなって改めて感じた。

 

そんな日々で、次の練習試合は3か月後の春。10番DHでスタメン。

1打席目、いきなりその時は訪れた。

1-1からの3球目、外角低めのストレートを体勢低めで拾うようにスイング。

 

!!

 

打球はピッチャーを越えてセンター前へ。

草野球2打席目で初ヒット。

とあるゴリゴリの経験者先輩メンバー曰く「芯食ってた!」めっちゃ嬉しかったですね。

2点ビハインドだったので、直後に二盗仕掛けて成功。初盗塁。

ここまで書くとイケイケになるじゃん?なるじゃん?…二塁牽制死、、、なるよな。

「ワンアウトだからそこまで欲張ることないぜ」とキャプテン。確かに…すみません。

2打席目は空振り、空振り、見逃しで三振。

大阪の先輩メンバー「難しいとこ振っておいて最後見逃しはあかんわー」おっしゃる通りです…。

といった感じで2試合目は打撃結果も、かけられた言葉も鮮明に憶えている。

 

1試合目は光景を中心に記憶していたのだが、2試合目は試合の経過の記憶が強い。

きっとプレーすることに集中していたのだろう。

草野球人としてのスタートはここなのかもしれない。

 

~第2回を振り返り~

そんなこんなで、打撃走塁ともにポジ要素ネガ要素混在していますが初物づくしの2試合目で大幅に経験値上がった実感はありました。

背番号の話も、本気で「7」だけを取りに行き、「7」の形にこだわり…。笑

会社野球部ということもあり、ここ最近は全く着用機会ないけど、早くまたこのユニにも袖を通して試合したいなあ…!